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亀井進 Kamei Susumu – 日本姿勢保健均整師会 一般社団法人身体均整師会

 

均整術創始者。
明治44年(1911)2月10日、愛媛県生まれ。重度の胃潰瘍を起こして現代医学からも縁を切られた。奥さんも産後の肥立ちが悪く両足不随、両眼失明。長男は廊下を走っていて転んで足が立たなくなり、医者に見せたが右下肢不随。16人もの医者にかかってもそれら家族の患いは治らない。残されたのは悪化した症状と借財。これらは相当の医療費が掛かり生活苦になる割に効果も疑わしい。結果仏の道を歩むこと、藤井療法の恩師・高松梅次郎や馬賊より伝わる白方ヨネの電気療法などの療術で良くなった経歴がある。
戦時中は、少林寺拳法創始者・宗道臣らとともに満鉄の調査部に所属。戦後、昭和22年(1947)、療術が国の施策で「昭和30年(1955)まで許可し、それ以降は転職しろ」と禁止されるに際して、当時の錚々たる療術師たちとともにこれに断固反対、療術の法制化運動に参加する。昭和24年(1949)3月、初めての著作となる『療術臨床必携』を編集。そして昭和26年(1951)10月には「身体均整協会」を設立。この後、昭和37年までの5年間に、『骨格均整法』『特殊技法』『観歪法』『特殊操法』『日本療術学』と五冊の本を矢継ぎ早に出版して、当時日本で行われていた療術、オステオパシー、カイロプラクティック、スポンディロセラピーなどの手技に関する科学的な理論の構築をめざした。
亀井師範は、あらゆる手技療法が大同団結しえる、手技と名が付けば共通に使える、その中核になる理論、そのような手技療法の統一原理を明らかにしようと生涯にわたって尽力された。
昭和50(1975)年11月27日、逝去。享年64歳。


※写真はいずれも均整術「講座集」より

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