大正2年4月9日生まれ。 幼年の頃より山口勇一朗師範に師事し、無雙直伝英信流(居合術)を学ぶ。練士七段位。 22歳の時(昭和10年)、中国地図作製の任務を帯び中国へ渡った際、湖南省岳州市外君在住の武術家である李宋援師に師事し激しい稽古に励む。 昭和20年、戦争の終結とともに帰国し、「糸洲流」等の空手二流派、中村泰三郎氏より戸山流抜刀術、王樹金老師より九十九式太極拳を学ぶ。 また、琉球古武術(井上元勝師範)、甲賀流忍術・南蛮殺到流拳法・心月流手裏剣術(藤田西湖師範)らとも交流を持ち、研究を重ねる。 大日本講武会を設立し、昭和37年5月、東京都北区赤羽に道場を開く。 学んだ武術それぞれの長所を取り入れて編纂し、大日本講武会の武術として体系化、「大日本兵法空手道」「嫡流真伝中国正派拳法」を指導。