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劉雲樵 Liu Yun Quao(Ryu Un Sho) - 中華武壇國術推廣協會

中国武術

1909年農歴2月8日、中国河北省滄州市北頭村生まれ。中国武術家。漫画『拳児』に登場した「劉月侠」のモデルになった人物。

幼少時病弱だった劉雲樵は、体質改善のため3歳頃から劉家の保鏢だった燕青門の張耀庭に推拿を施され、太祖長拳や燕青拳を学んでいった。成長した後に、「神槍李」と呼ばれる槍の名手で、徒手でも無類の強さを誇って「二打不用」と称賛された八極門の李書文に指導を受け、李氏八極拳、劈掛掌を学ぶようになる。
劉雲樵が19歳の頃、山東省提督の張驤伍に招聘された李書文に随行し、武術教官として山東省黄県の第五路軍指揮部に赴く。底で現地の武術家たちと手合わせし、そのすべてに勝利した劉雲樵は「山東小覇王」の称号を得るに至る。また、この間に知己を得た丁子成から六合螳螂拳を学ぶ。山東省に2年ほど滞在、李書文が去った後、劉雲樵は宮宝田から八卦掌を学んだ。
日中戦争が勃発した1937年、劉雲樵は黄埔中央軍校西安七分校に入学し、卒業とともに抗日戦に参戦。軍では陸軍第一師補充団第一営営長、川陜戦区司令部参謀主任などを歴任した。その一方で、その卓越した武術の腕は早くから政府に注目され、「天字第一号」というコードネームをもった諜報員に起用される。

1949年、国民党政府の台北遷都とともに台湾に亡命。台湾での劉雲樵は53歳で軍を退役し、静かに隠棲していたが、旧知の張詳三との再会を機に、台湾国術界との交流が始まった。また士官学校の同窓生である孔令晟の推挙によって総統府侍衛隊の武術教官に就任し、一方で個人的に弟子を取って武術を教え始めるようになっていった。
1971年に武壇雑誌社を設立し、徐紀を主編に据えて月刊雑誌『武壇』の刊行を開始。また武壇雑誌社に併設された武学研究社国術訓練班で、多くの武術を指導した。1976年に武学研究社国術訓練班は武壇国術推広中心と改名し、徐紀が初代総教練に就任した。こうして現在の中華武壇国術推広協会の礎が築かれ、現在に至っている。直弟子には梁紀慈、徐紀、蘇昱彰、黄義男、戴士哲、伍松發、郗家駿らがいる。また日本では、長年にわたって武壇の現地で修練し、日本人でありながら教練を務めるまでになった大柳勝が、劉雲樵の命の下、1985年に武壇日本分會を正式に開設した。

その後も多くの弟子を育成してきた劉雲樵は、1992年1月24日に逝去した。享年82。葬儀には政府、軍関係者も多数参列し、李登輝総統から「武学貽徴」の挽額が贈られた。


写真協力:大柳勝師(武壇日本分會総教練)、『劉雲樵大師全集』(刊行:武学文化社)より
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