大東流合気柔術八段、琢磨会幹事長。
1942年5月20日に大阪生まれ。12歳の頃、武道界に大きな影響力を持つ中村天風と出会う。大阪で開催されていた中村天風の夏期修練会に参加中、久琢磨が演武しているのを目にしたのを契機に、大東流合気柔術を学び始める。1961年10月、久琢磨の関西合気道倶楽部に入門。また、森脇潔が指導する大阪朝日新聞社の道場にも入門し稽古に励む。1962年、在学中の桃山学院大学に大東流合気柔術部を創設、植芝盛平の教え子である小林弘和師範から合気道の指導を受ける。その結果、桃山学院大学合気道部は、財団法人合気会傘下の「関西学生合気道連盟」に所属する合気道部となった。1965年、久琢磨から紹介状をもらい、東京の旧合気会本部道場で植芝盛平の下で約1ヶ月間稽古。その期間中、飯田橋にある塩田剛三の養神館でも稽古参加。1968年8月19日〜21日、久琢磨から北海道に派遣され、網走の大東館で武田時宗の指導による合宿に参加。途中、網走の演武大会で会った堀川幸道をサロマ湖近くの湧別まで訪ね、3日間の指導を受けた。関西合気道倶楽部が1968年に閉鎖されたのを機に、自らの道場を始める。1970年に久琢磨から教授代理の称号を允可。その後、1973年に久琢磨から大東流合気柔術八段を授与。1974年に開設された千里会館の朝日カルチャーセンターにおける大東流合気柔術の講師に就任。1975年に琢磨会が結成されると、幹事長に任命された。多くの門下生を育てるとともに、海外支部へ指導にも赴いている。また、合気に関する歴史研究にも勢力を傾け、多くの出版物も作成している。