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島津 兼治 Shimazu Kenji – 柳生心眼流教伝所竹翁舎

1938(昭和13)〜

 東京都品川区出身。父親が若い頃に揚心古流を修めていたことから、幼少より柔術、柔道に興味を持つ。働きながら定時制高校入学すると共に、1955(昭和30)年に柳生心眼流を教授する相沢富雄を知り、入門。様々な厳しい教導を受けるが、1962年に相沢が逝去。亡き師が語った柳生心眼流の来歴を頼りに、同流を求めて東北、宮城県周辺を探訪。柳生心眼流の師範を訪ねる中で1963年、柳生心眼流宗家であった星国雄と出会い、師事する。1964年には仕事の関係から神奈川県海老名市に移り住むことになった星の元へ、一ノ関に帰郷する迄の十数年間を通い、帰郷後も更に教えを乞うた。
 1974年、「柳生心眼流教伝所 竹翁舎」を開設。本格的に同流の指導、普及を始めて、特に柳生心眼流の故郷である東北地方の諸流儀について深く探究し解明をした。海外ではオーストラリア、フランス、スイス、スエーデン、ロシアなどに、伝統古流武術を伝えて日本の伝統武術の奥深さを伝えている。
 また、父親の揚心古流正骨術に始まり、真陰流滝沢師範に一人接骨術を学び、柳生心眼流の両師から殺活術を学んだ。師の亡き後に同流の武藤正雄に依って、日本武道医学研究家の中山清師を紹介されて、柔術に伝わる武術医学を知った。伝統武術に伝わる深遠な伝統技法に目覚めた。相沢亡き後の第二の恩師として信奉して、中山清師に進められて柔道整復師の免許も得て治療家となり、柔術が伝えた正骨術の研鑽に努め、古典探求は一生涯のライフワークと成った。葉脈を保ってきた柳生心眼流の骨絡・筋絡・皮絡の奥義技術を、流儀の掟を破り後世の為に公開を始める。柔道整復師としては異色の筋絡治療家として、数々の難病の施術を行い、それが後に、「古式腱引き」から独自の施術「筋整流法」を創始した小口昭宣との交流につながる。
 また、森重流砲術・七代宗家森重民造の死去に伴い、師の森重流砲術研究会を継承して、幕末に消滅した古式砲術の研究を始める。各流の砲術伝書を多数収集して、失われた技術解明をする。特に謎であった森重流砲術の流儀成立を検証する為に、森重流砲術資料を百余十点を収集して、失われて謎であった歴史を完全解明が出来た。
 現在も、収集した古流武術の文献資料を日本武道資料館に保存することに努めている。特に柳生心眼流の故郷である東北地方の諸流儀について深く探究し、解明をする。1989年の創刊時より「月刊秘伝」の編集顧問を続けている。





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