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笹森順造 SasamoriJunzo
小野派一刀流剣術・直元流大長刀術・神夢想林崎流居合術・渋川流十手術

18861976

明治19年(1886)5月18日、青森県弘前市に生まれた笹森順造は、幼少期より剣道および古流各武術を学び、地元中学から長じて上京、早稲田大学時代と剣道部で活躍し、養った心技体をもって出版社への入社により渡米留学、政治家を目指すとともに、武道修行の継続と在米邦人への奉仕活動に努める。また、14歳にてキリスト教の洗礼を受けている。

 大正11年(1922)、郷土子弟の学び舎である東奥義塾再興のため、請われて塾長に就任。昭和14年(1939)まで務めた後、同年、青山学院学院長に就任し、昭和18年に辞任するまで多くの有望なる人材を世に送り出す。この間、小野派一刀流正統継承者として古流武術の伝承とともに、その体系の確立に従事し、武道・武術界における名声を高める。

 戦後、昭和21年4月、第22回衆議院議員総選挙に初当選。以後、衆・参議員として国務大臣、復員庁長官、賠償庁長官、文教委員長、外務委員長などを歴任しながら、国会議員として国の復興に尽力する。その一方、GHQによる武道禁止の荒波の中、剣道復興に尽力し、昭和25年にはその先駆けとして全国撓競技連盟を立ち上げ、会長を務める。

 昭和38年、戦後の日本の若者を育てるための使命を抱き、古武道の教場、音楽堂、礼拝堂という多岐にわたる活動、社会教育館のような役割として、自邸内に「禮樂堂」(昭和44年には教会の伝道所と併用)を建立する。以後ここを拠点に、剣道や各種古流武術を無償で青少年へ教授した。昭和39年、勲一等を叙し、瑞宝章を受ける。昭和40年、自身の古流武術研究の集大成としての『一刀流極意』刊行。昭和51年2月13日、数々の偉業を成した、その生涯を閉じる。逝去に際して、叙位・正三位・賜杯銀杯一組が贈られた。

 明治から大正、昭和と激動の時代にあって、武道・武術を通した人間観察の上に立ち、人材育成と国の復興に尽力した生涯はまさに、その名を歴史に刻んだ偉人の一人として、長く語り継がれるべき武道家であろう。

18861976

明治19年(1886)5月18日、青森県弘前市に生まれた笹森順造は、幼少期より剣道および古流各武術を学び、地元中学から長じて上京、早稲田大学時代と剣道部で活躍し、養った心技体をもって出版社への入社により渡米留学、政治家を目指すとともに、武道修行の継続と在米邦人への奉仕活動に努める。また、14歳にてキリスト教の洗礼を受けている。

 大正11年(1922)、郷土子弟の学び舎である東奥義塾再興のため、請われて塾長に就任。昭和14年(1939)まで務めた後、同年、青山学院学院長に就任し、昭和18年に辞任するまで多くの有望なる人材を世に送り出す。この間、小野派一刀流正統継承者として古流武術の伝承とともに、その体系の確立に従事し、武道・武術界における名声を高める。

 戦後、昭和21年4月、第22回衆議院議員総選挙に初当選。以後、衆・参議員として国務大臣、復員庁長官、賠償庁長官、文教委員長、外務委員長などを歴任しながら、国会議員として国の復興に尽力する。その一方、GHQによる武道禁止の荒波の中、剣道復興に尽力し、昭和25年にはその先駆けとして全国撓競技連盟を立ち上げ、会長を務める。

 昭和38年、戦後の日本の若者を育てるための使命を抱き、古武道の教場、音楽堂、礼拝堂という多岐にわたる活動、社会教育館のような役割として、自邸内に「禮樂堂」(昭和44年には教会の伝道所と併用)を建立する。以後ここを拠点に、剣道や各種古流武術を無償で青少年へ教授した。昭和39年、勲一等を叙し、瑞宝章を受ける。昭和40年、自身の古流武術研究の集大成としての『一刀流極意』刊行。昭和51年2月13日、数々の偉業を成した、その生涯を閉じる。逝去に際して、叙位・正三位・賜杯銀杯一組が贈られた。

 明治から大正、昭和と激動の時代にあって、武道・武術を通した人間観察の上に立ち、人材育成と国の復興に尽力した生涯はまさに、その名を歴史に刻んだ偉人の一人として、長く語り継がれるべき武道家であろう。

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