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田村信喜 Tamura Nobuyoshi – FFAB(合気道・武道フランス連盟)

 昭和8年(1933)3月2日、大阪で生まれるが、小学生の頃、戦争のため母の実家である三重県へ疎開する。高校進学と共に家を飛び出し、東京へ出て、マクロビオティック(桜沢式食養療法)で有名な桜沢如一の主宰する寄宿舎で一年ほどを暮らす。その縁で北海道へ渡るなどの経験を経て、家へ連れ戻されるが、再び東京へ出てくると、食養療法時代の仲間の縁から山口清吾師範の知己を得て、1953年、合気道へ入門することとなる。

 入門後、しばらくして内弟子となると、本部道場長である植芝吉祥丸二代道主のもと、のちに国内外で合気道普及の礎となる小林保雄、浅井勝昭、山田嘉光、千葉和雄、菅野誠一、金井満也、栗田豊、五月女貢といった各師範たちと鎬を削りながら、10年間を本部で過ごす。この頃、のちにフランスにおいて共に合気道普及に尽力することとなるアンドレ・ノケ(合気道初の外国人内弟子)も来日し、共に合気道修行に邁進する。

 1964年、結婚を機に、フランスへ渡り、マルセイユを拠点として合気道の普及に尽力する。フランスは望月稔(養正館武道創始者)や阿部正といった人々によって早くから合気道が普及していたが、反面、武道に関してはフランス柔道連盟(FFJDA)が一括統治する形で多くの道場はその一部門として従属する状態にあった。当初、ACFA(フランス・合気道文化協会=合気会)として独自の活動を続けていた田村一門も、既に柔道連盟に吸収されていたGAN(グループ・アンドレ・ノケ)や養正館(二代・望月拡雄)と昇段システムや教師免状の一本化を図るために柔道連盟に所属するが(これが1975年の国際合気道連盟創立の一因となる)、その後、空手が柔道連盟から独立したことを契機に、改めて独立。FFLABを設立すると、1982年には政府の公認を受けて、L(自由)を除いたFFABとなり、現在に至る(現在、フランスではこのFFABと、フランス柔道連盟に慰留され、のちに独立したFFAAAが二大組織として、合気道普及に邁進している)。

 以来、フランスの合気会系道場を統括する団体として会員数はのべ28000人を超え、ヨーロッパはもちろん、アフリカや中東など多くの国で指導を手掛けて、優秀な指導者を育成する。1999年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ章を受賞。2010年7月9日、癌のため、その長く数奇な合気道人生を終えられた。享年77歳。合気道八段。





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