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WEB特別対談連載【第1回】

秘話、七帝柔道記─北海道大学武道の残照
WEB特別対談連載【第1回】


「柔道部の人達みんな ゴリラみたいでした(笑)」(舟山)


増田 北大柔道部っていうのは合気道部から見ると、やっぱりちょっと男性っぽいイメージがあったんですか?
舟山 そう、怖い、汗まみれ。
増田 ゴリラみたいな。
舟山 うん。ゴリラみたいな感じだった(笑)。で、愛想もないし。
増田 ないよね(笑)
舟山 ほんと愛想なかった(笑)
増田 本当は合気道部の女子にすごく興味あるんだけどね(笑)
舟山 全く愛想なかった(笑)。体育会のイベントとかでも、全然何て言うんだろう。
増田 話しかけない。
舟山 話しかけないでしょ。うん。なんかもう脇目も振らず、自分たちの世界に没頭してるみたいな、そんな感じで。挨拶、え、挨拶したっけか。
増田 武道館の中ですれ違っても挨拶もしない感じでした。
舟山 もうなんか怖いし、ちょっと嫌な感じでした。
増田 嫌な感じですか(笑)
舟山 馬鹿にしてたなって感じ。
増田 そんな感じにしてたかな。
舟山 いや、っていうかね、私、『七帝柔道記』を読んでなんか合気道部馬鹿にしてたんだなってわかって。合気道部の人みんな怒ってました。
増田 いやいやいやいや、馬鹿にしてたわけではなくて、つまり羨ましがってたんですよ。柔道部の練習がね、異様にきつかったから。週に6日、びっちり。合宿。2部練。延長練習。
舟山 でもね、合気道部は『七帝柔道記』では週に3回のぬるま湯って書いてあったけど、実は4回やってたんですよ。月火木金。
増田 ごめんなさいね。僕らも若かったから。学生時代の20歳代の増田の感性で書いてるから。
舟山 2年目の時からは、師範の先生が石狩に道場を構えて、土曜日も結構みんな行ってました。
増田 そうですか。あれを読んで怒ったんですね。ごめんなさいね。当時のわれわれの空気というか気分というか再現しただけで、今はそんなふうには思ってないですよ。
舟山 合気道部どんな人がいたかとかって覚えてるんですか?
増田 顔はだいたい覚えてます。ただ、恥ずかしくてね、女子と喋れなかった。当時、純情だったから。
舟山 なるほど(笑)
増田 女人禁制だったしね。
舟山 そうですよね。今はでも北大柔道部も女子部員いますもんね。いつからですか? 女子入るようになったの。

1989年(平成元年)7月。引退試合となった4年目の七帝戦の閉会式での増田俊也。


「女人禁制だったから独特の雰囲気の部だった」(増田)


増田 僕よりだいぶ下じゃないかな。OB会から強硬に言われてたから。女子マネージャーもダメでしたから。羨ましかったんですよね、他の部が。
舟山 なんかストイックに練習してたなあっていうのと、柔道部の後の練習はいつも汗臭かったなっていうイメージが(笑)
増田 柔道部員は練習終わってミーティング終わると上半身裸になって1階のシャワー室へ階段降りてくでしょ。
舟山 そうそうそうそう、そうでした。そんなイメージでしたね。
増田 12年くらい前にはじめの『七帝柔道記』が出てからいろんな人からメール貰ったんですけど、少林寺拳法部OBの男子とか「どっかのプロ格闘技団体が来てるのか?」って思ってたみたいですね。シャワー室に行く時はみんな裸だから。ちょっとね、異様な体してたから、当時はね。
舟山 そうですよね。でもね、私、ほんと、今回こういった機会をいただいて、改めて『七帝柔道記』読んだんですよ。そしたら最初に読んだ時は「なんだよ、自分たちだけ偉いと思って、他の部を馬鹿にしやがって」って思ってたんですけども、改めて読み直して『七帝柔道記』と『七帝柔道記Ⅱ』と、あとスピンオフの『VTJ前夜の中井祐樹』と読んで、印象すごい変わってね。
増田 どんなふうに。
舟山 なんか柔道部すごいなあっていうのと、すごく厳しくて大変そうですし。でも、あーなんかすごく青春だなっていうことを、結構感慨深い思いに変わりました。
増田 柔道しかしてないしね。僕なんか授業に全然出てないんだから。
舟山 それも書いてましたね。
増田 うん。
舟山 私も合気道部と、体育会本部もやってたんでね。体育会本部もすごく忙しかったですし。合気道部はものすごく忙しかったわけじゃないけれども、でも初心者で始めて、全く受け身とかもわかんなかったんですけど。北大合気道部って、武田流中村派ってちょっとマイナーな流派で、試合があるんですよ。半分柔道に近くて。
増田 柔道の乱取りみたいなことやるんですか? リアルファイトで本気で戦うんですか?

 

「激しい綜合乱取りもあって、いつも怪我だらけでした」(舟山)


舟山 2種類あるんです。捕技乱取りと綜合乱取りって2つあって、ひとつは形を見る試合、これは本当にそんな本気の試合じゃないんですけども、もうひとつ綜合乱取りっていうのがあって、これはリアルファイトなんです。
増田 へえ。そうなんですね。
舟山 打ち甲手という皮製のサポーターを手にはめて、互いに手刀により打ち合ったり、隙を見て柔道のような技をかけたり。
増田 投げたり。
舟山 そうそう。内股で倒して一本勝ちとかね。そういう綜合乱取りもあったので、けっこう怪我も多かったですし、激しい流派だったんですよ。で、しかも1年目の時っていうのは、専属のコーチも師範もいなくって、先輩が教えてくれたんですけれども、ちょっと非科学的っていうか。だから本当に柔道部ほどじゃないんですけども、とにかくできなければできるまでやるっていう、そういった練習だったんで、本当に怪我が絶えなくて。うちの代は1人柔道経験者の岡本っているんですけど、それ以外はみんな初心者だったから全員背骨を怪我して。
増田 岡本さんっていうのは男子ですか女子ですか。
舟山 男子。岡本崇って理1だったかな。理1から金属工学科に行ったはずなんですけれども、その主将になった岡本は柔道経験者だったんで、最初から受け身もできるし上手かったんですけど、他の者は受け身もできないんで、全然下手くそで。だから下手だから余計痛めて、痛いからそこを庇って余計痛くなってってことで、なんかもう、それこそ転身受け身も下手だし、腰車とか一本背負いで投げられても背骨から落ちて、とにかく痛くて痛くて、もうみんな背骨腫れて。私は尾骨が今でもその後遺症で曲がってるし、一人は背骨の疲労骨折でしばらく動けないような、そんな感じだったんですよ。あんな生ぬるく見えたけど。
増田 ごめんなさいね。本当に馬鹿にしてたわけじゃなくて、やっぱり羨ましかったんですよ、僕たち毎日朝から晩まで練習漬けで他に何もできない生活で。それに女の子いていいなと思って。だけど飲み会行っても喋れないし、男同士の時は強気なんだけど、女子と喋れなかったんですよね。今はこうやって喋れるけど。
舟山 私も部員の名前ぐらいは知ってましたよ。増田さんとか竜澤さんとかね。あと工藤飛雄馬さん。名前は知ってたんですけど、本当に喋ったことないですよね。FMCとか行きました?
増田 行ってない、行ってない。
舟山 FMCってあのほら、入部して。

北大合気道部時代の舟山氏による捕杖乱取り。


「いま思えば他の部とも交流持てばよかった」(増田)


増田 フレッシュマンズなんとかってやつでしょ。そういう外部と関わることやるなら練習しろっていう部だったから。
舟山 フレッシュマンズキャンプ。あれで結構他の部の人たちと仲良くなるんですよね。やっぱりそうなんですか。柔道部あんま印象ないもん。他の部の人たちとはすごい仲良くなったけど。
増田 参加禁止だったんだと思う。
舟山 ああ。
増田 練習優先みたいなのがあって。
舟山 なるほどね。やっぱ厳しいですね。
増田 FMCみたいなのにも行けばね、またあれなんだけど。すごくそういうところが厳しくて、七帝戦に向けた練習ばかりで、合宿やら2部練やら出稽古やらで年中くたくたですよ。
舟山 でもなんか本によるとちゃんと彼女もいたみたいじゃないですか。あれは本当ですか?
増田 僕と竜澤だけは柔道部で初めて彼女できたって言って、先輩たちにも噂になってたんですよね。2年目のときかな。
舟山 おー、すごいですよね。あんなに密な厳しい練習の中で。『七帝柔道記』の彼女と結婚したんですか?
増田 ああ、あの人とはしてない。長いですからね人生は。生々流転ですよ。
舟山 これ覚えてますか(と言って本を見せる)。
増田 わかんないです。何それ? 『北溟』? 新入生勧誘のために体育会の部が全部一緒に作ってるやつね、年に1度。
舟山 違います。よく見てください。メイの字が違うでしょ。
増田 ほんとだ。迷うって書いて『北迷』ですか。すべての部の卒業アルバムみたいなもんですか。そういうの僕ら柔道部員は見ないというか、体育会のなかでも孤高といえば格好いいんだけども孤立というか。練習して飯食って寝るだけの生活だから。
舟山 うん。でもね、これほら、メイは違うんだけど、私たちの代で各部活で平成二年卒業文集、写真集みたいの作ったんですよ。
増田 でも知らないな。
舟山 で、まあ表紙には当然クラークさんとか『北迷』の字があって。でですね、柔道部もちゃんと。
増田 載ってるの?
舟山 載ってます。ほら。
増田 あ、本当だ。僕たちの代が載ってるね。竜澤も宮澤も松井隆も工藤飛雄馬も。

舟山氏が所有する『北迷』。本来は北大新入生全員に配る『北溟』という名のすべての部を紹介する冊子があるのだが、それをもじって作った体育会の卒業アルバム。



 

「学年は一緒ですよ。私が1浪、増田さんが2浪で」(舟山)


舟山 はい。
増田 すごい。へえ。
舟山 覚えてない?
増田 覚えてないですね。引退したらもうみんな道場行かなくなるから。
舟山 このページが合気道部、うちの合気道部です。
増田 なるほど。
舟山 うちは、1人同期の可愛い女の子が、もしかして本に出てきた「合気道部の可愛い女の子」ってその子だと思うんだけど。中村あや子ちゃんって。
増田 別府(舟山の旧姓)さんのことじゃないかな。
舟山 えー、中村あやちゃんだと思うんですけど、その子がこう、すごく美術のセンスがあって、こういうデザインをしてくれた。
増田 うん。綺麗に作ってるね。
舟山 私はね、えーと、この写真とかこれとか、これとか、あとこれかな。
増田 やっぱり可愛いですね。
舟山 ありがとうございます。いや、本当ね、おかげさまでなんかすごく昔のことを振り返りつつ、懐かしく、いろいろなんか考えてました。
増田 学年では僕より1学年上?
舟山 一緒一緒。
増田 一緒? 学年だよ。
舟山 一緒。一緒。
増田 ということは年齢は僕より下ですか。
舟山 1個下。私は1浪だから。
増田 だったら昭和41年(1966年)生まれ?
舟山 増田さんは2浪の昭和40年生まれでしょ。だから同じこの卒部記念の写真集に、増田さんの代と、うちの代一緒だから載ってるんですよ。
増田 あ、そうか。そうですね。
舟山 一番後ろに名簿もちゃんとあります。
増田 へえ。

合気道部時代の舟山、柔道部時代の増田、若き日の写真が何枚も掲載されている。




「青春時代って不思議だね。誰と誰が出会うかわからない」(増田)


舟山 卒部生名簿もついてますよ。
増田 全然もう柔道部っていうのは柔道部の中だけで固まってたからわからんのです(笑)。僕の3期下の松浦義之がね、体育会本部入って委員長までやって交流ができたみたいだけど、彼ら以前の僕らはもう全然もう飲み屋で会うくらい。みねちゃんとか行ってました?
舟山 みねちゃん行ってました。実はね、みねちゃんの娘か姪が合気道部員なんですよ。私の1個下の。
増田 あ、そうですか。
舟山 みねちゃんの、たぶん姪っ子なのかな。その人がその師範の奥さんになったの。合気道部の。
増田 じゃあ歳がだいぶ離れてるんじゃないですか?
舟山 そう。
増田 どれぐらい? 20歳ぐらい?
舟山 えーと、19歳だって!
増田 へえ。
舟山 だってその師範の先生来た時かれこれ40歳近かったんじゃないかな。でもとにかくすごい離れてます。子供がね、4人ぐらいいる。
増田 青春時代って不思議なもんでね。ここ何年か前の中学校や高校の同窓会のときにも話題になったけど、今の年齢になっていろいろ振り返ると、誰と誰が結婚しててもおかしくないんですよね。
舟山 うん。
増田 いろんな組み合わせってあって、例えばみねちゃんで横に座ってたら、僕が舟山さんと付き合ってたかもしれないですよね。
舟山 うん。
増田 議員の旦那になってたかもしれない(笑)
舟山 うん、そうですよ。そのちょっとした出会いでね(笑)
増田 でも柔道部員はみんな恋愛には奥手だから。あんまりね、交流ができなかった。
舟山 でもきよたの新歓コンパは、武道系コンパは行ったんでしょ? 『七帝柔道記Ⅱ』によると。
増田 あのとき酒飲んでボクシング部のやつと喧嘩してね。そのまま酔い潰れて眠っちゃって竜澤に背負われて、吹雪の中、アパートまで帰ったみたい。竜澤は全身が僕のゲロまみれになったみたいで。ずっと吹雪の中よく歩いてくれたよ。友達ってほんとありがたいですよ。
舟山 うんうん。
増田 竜澤って妙に真面目なところがあるんですよ。
舟山 へえ。
増田 非常に野性的なんだけどね。真面目。それで御洒落。いつも鏡の前に立ってたでしょ、彼。
舟山 え?
増田 覚えてないかな? 道場に大鏡があったでしょ。
舟山 うんうんうん。
増田 柔道部の練習後、あそこで竜澤が、ジーンズの着こなしとかお尻の見え方をチェックしてたんだけど。
舟山 へえ、そうだったんだ。
増田 それで僕と2人でね、合気道部員の練習見ながらあの子が可愛いとか、あっちの子も可愛いとか。名前もわかんないくせに。
舟山 うんうんうん。
増田 もうとにかく合気道部の女子を、僕と竜澤はいつもチェックしてた。
舟山 うん。
増田 なんか話しかけるきっかけをつかもうと思ったけど、4年間ずっと1度もそれはないですね。
舟山 ほんと1回も話してないですもん(笑)
増田 距離的にも時間的にも学内で一番近い部同士なのにね。
舟山 お互い青春でした(笑)
増田 40年も前だからね。それがこうして話せるんだから人生って面白いね。体育会運動部に入ってたからこその交遊は、なんの利害関係もなくてピュアだし。
舟山 ほんとそう。
増田 北大はカレッジ(単科大学)じゃなくてユニバーシティ(総合大学)だからこその多様性もあって、みんな専門が違うからそれも面白いし。
舟山 それプラス、体育会は競技の多様性もあるしね。だから掛け算で無数の人材の組み合わせができる。
増田 これからも繋がりを大切にしていきたいですね。  【第1回了】■

1年目時代、「教養部の留年掲示板を見てドッペリ組を笑おう」という奇妙な柔道部の行事。1年生に留め置きとなった増田(左)の名前を指さして嬉しそうな竜澤(右)。



【※本対談第1回は、月刊秘伝2026年6月号に掲載されたものです】

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