1917年 – 1998年、沖縄剛柔流尚礼館初代館長。
1917年5月、沖縄県那覇区(現・那覇市)に生まれる。1933年3月、剛柔流流祖宮城長順の弟子である比嘉世幸の道場に入門。比嘉世幸と宮城長順の両方に教えを受ける。
1942年4月、南スマトラ・パレンバン製油所に軍属として勤務。その間、軍人および現地人に空手を指導。1946年、終戦により沖縄県糸満市に復員。1947年、沖縄では戦後初となる空手道場「剛柔流研究所」を比嘉師と共に糸満で始める。1952年(昭和27年)、宮城長順を会長として剛柔流振興会が結成されると、常任理事に就任。翌年、宮城の死去により剛柔流振興会を空手道剛柔会に改称(会長・比嘉世幸)、副会長になる。1954年、「尚礼舘空手研究所」創立。1956年(昭和31年)に結成された沖縄空手道連盟の理事に就任した。1960年10月に上京し、以後東京で活動した。元代々木修練会空手道場師範 元東京都空手道連盟相談役 元東京都中野区空手道連盟相談役 元法政大学沖縄空手道剛柔会師範 元沖縄空手道剛柔流尚礼会会長。