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長田賢一 Osada Kenichi
空道大道塾

1964年5月18日生まれ。宮城県岩沼市出身。父親の影響もあり幼少期から剣道、空手(松濤館系)に親しむが、中学時代、『空手バカ一代』に出会い、大山倍達・極真空手に憧れる。独自の鍛錬を重ねる中で、極真第9回全日本王者でもあった東孝師範率いる極真会館宮城支部へ入門。高校の部活では陸上部に所属しつつも、空手一色の学生生活を送る。1981年に東師範が新たに顔面突き有り、投げ有りの「空手道大道塾」を立ち上げ独立、それに伴い、大道塾へ移籍する。強烈無比な右ストレートを主武器に圧倒的なKO(一本勝ち)率を誇り“ヒットマン”の異名で呼ばれ、1984~1989年にかけて大道塾主催の北斗旗(全日本大会)を6度制する。1987年には、タイでムエタイ現役王者ラクチャート・ソーパサドポンと対戦。ダウンを奪うもKO負けを喫する。1992年7月、大道塾主催「THE WARS 7.7」でムエタイのポータイ・チョーワイクンとグローブ戦を戦い引き分けとなるも、同年11月の北斗旗で優勝、現役を引退する。2021年、東塾長の逝去に伴い、二代目塾長へ就任、現在に至る。国際空道連盟大道塾七段、国際空道連盟S級審判員、大道塾仙台西支部支部長。

【主な戦績】1984年、87年、89年北斗旗全日本体重別選手権大会重量級優勝・1985年、86年、89年、92年北斗旗全日本無差別選手権大会優勝

1964年5月18日生まれ。宮城県岩沼市出身。父親の影響もあり幼少期から剣道、空手(松濤館系)に親しむが、中学時代、『空手バカ一代』に出会い、大山倍達・極真空手に憧れる。独自の鍛錬を重ねる中で、極真第9回全日本王者でもあった東孝師範率いる極真会館宮城支部へ入門。高校の部活では陸上部に所属しつつも、空手一色の学生生活を送る。1981年に東師範が新たに顔面突き有り、投げ有りの「空手道大道塾」を立ち上げ独立、それに伴い、大道塾へ移籍する。強烈無比な右ストレートを主武器に圧倒的なKO(一本勝ち)率を誇り“ヒットマン”の異名で呼ばれ、1984~1989年にかけて大道塾主催の北斗旗(全日本大会)を6度制する。1987年には、タイでムエタイ現役王者ラクチャート・ソーパサドポンと対戦。ダウンを奪うもKO負けを喫する。1992年7月、大道塾主催「THE WARS 7.7」でムエタイのポータイ・チョーワイクンとグローブ戦を戦い引き分けとなるも、同年11月の北斗旗で優勝、現役を引退する。2021年、東塾長の逝去に伴い、二代目塾長へ就任、現在に至る。国際空道連盟大道塾七段、国際空道連盟S級審判員、大道塾仙台西支部支部長。

【主な戦績】1984年、87年、89年北斗旗全日本体重別選手権大会重量級優勝・1985年、86年、89年、92年北斗旗全日本無差別選手権大会優勝

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