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宮城長順 Miyagi Chojyun – 剛柔流

 

宮城長順は、空手の四大流派のひとつである剛柔流の開祖。
1888年(明治21年)、4月25日、沖縄県那覇市東町に生まれる。11歳で新垣隆功に師事し、その後14歳で那覇手の大家の東恩納寛量に師事する。1915年、中国拳法修行のため福州に渡る。約1年後、師匠・東恩納病没のため帰国。1929年、沖縄県警察練習所と那覇市立商業高校に空手が正課採用され、その師範に迎えられる。1930年11月、沖縄県体育協会に空手部が創設され、その空手部長に推される。また、この年、自らの唐手を剛柔流と命名。1934年、大日本武徳会に「剛柔流唐手」と登録。1937年5月5日、大日本武徳会主催、武徳祭に於いて演武を披露し、全国初の空手術教士の称号を授与される。1938年、沖縄県師範学校の空手師範に任命。1945年、沖縄民政府が設けられ、警察学校の教官に任命。1953年(昭和28年)、那覇市壺屋の自宅で没する。

宮城長順は、古来より伝わる空手の技術と自身の研究、武道の理念を整理踏襲して、体育的・武術的な効果と、合理性・科学性を加味させた近代的な空手道を完成させ、空手史上初めて流派を作った。「剛柔流」の名称は、拳法書「武備誌」の中にある拳法大要八句の「法剛柔呑吐」に由来している。




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