貿易商、鍼灸師。”鎌之手マテイシ”、”千原マテイシ”と呼ばれ、沖縄の武術界を代表する武人。
1888年5月18日、沖縄県那覇市垣花町生まれ。
1893年、実父真珍・祖父真得より琉球王朝時代からの武術を北谷村千原で厳しく伝授され、更に成長した真光は、士族安慶名直方(具志川平良小)から棒術、鎌術、櫂術、釵術(鉄尺)等を修練し、北谷村野里の地頭伊禮真牛(ジトデーモーシ)から双節棍、柱拐(トンクワァ)等の手ほどきを受け相伝。1904年樺太から満州に武者修業に出て、馬賊と共に生活をし、その中でスルウチン術、手裏剣術等の技を身につけ、更に数十年かけ、上海、福州、南安を回り南派少林金硬拳法を研鑽、金硬老師より皆伝を受け沖縄に持ち帰る。
1908年京都武徳殿大日本柔剣道青年大会初参加船越義珍が唐手又吉真光がトンクワァ術を演武。
1915年御大典記念演武会、冨名腰義珍がクーシャンクー、又吉真光がトンクワァ術を演武。
1916年京都武徳殿大日本設立二十周年記念演武会、冨名腰義珍がクーシャンクー、又吉真光がトンクワァ術を演武。
1921年皇太子殿下(昭和天皇)が来沖、御前演武記念において又吉真光が鎌之手、宮城長順が唐手、富名腰義珍が師範学校学生と集団演武指揮。1928年明治神宮大礼祭において沖縄古武術の演武。
1939年京都武徳殿大日本武徳会へ空手術称号授与式に責任者として沖縄から比嘉世幸、宮里浩、新里仁安、長嶺将真らを引率。
同年大日本武徳会沖縄県支部武徳殿設立記念演武会古武道の部で添石良冨とともに棒術を演武。
1947年逝去。