沖縄県出身の空手家。糸東流流祖。1889年、沖縄県首里市に生まれる。13歳で首里手の大家・糸洲安恒の門下に入り、その後19歳で那覇手の大家・東恩納寛量に師事。兵役終了後、警察官として採用される。1918年、自宅を会合所として「唐手研究会」を設立。1925年に「沖縄唐手研究倶楽部」として改組設立。宮城長順、本部朝勇、花城長茂、知花朝信らとともに研究を重ねる。1929年、本土へ渡り、神伝不動流、不遷流など本土の柔術も学ぶ。1934年、大阪にて道場「養秀館」を開館、恩師である糸洲安恒と東恩納寛量より一字ずつ取った「糸東流」を名乗る。1939年、大日本武徳会より空手術錬士号を授与される。1952年5月23日、大阪にて逝去。享年62。著作に、『攻防自在 護身術空手拳法』、『セーパイの研究 護身術秘傳 空手拳法』、『攻防自在・空手拳法 十八の研究』、『攻防自在護身拳法 空手道入門』、『攻防自在護身拳法 空手道入門 別名 空手術教範』、『空手叢書 來留破(クルルンハー)の研究 ① 』、など多数。