1927~2025
昭和2年2月27日生まれ。東京都(麻布)出身。幼少期より家伝の武道に親しみ、17歳の頃、空手道(師匠不詳。剛柔流)へ入門。その翌年、道場が戦災で焼失し、縁あって船越義珍門下の森田保道からも空手を学ぶこととなる。その後、27歳となって八光流柔術創始者・初代奥山龍峰と出会い、入門。のちに師範免状を受けるが、その源流である大東流合気柔術に興味を持ち、当時、小岩で「振栄館」道場を主宰していた細野恒次郎の門人となる。
やがて門下最高位の五段ともなるが、師の同門であり、当時、茨城県日立市滑川に隠棲していた吉田幸太郎を紹介され、細野と共に訪れる中、その逝去にともない、改めて吉田にも大東流合気柔術を学んでいる。
その他、各種日本柔術にも精通する中、昭和36年(1961)に中国武術の大家、王樹金と出会い、中国柔拳(太極拳、形意拳、八卦掌)および各種武器法を学んで、王樹金の日本における嫡流継承者として昭和55年(1980)には全日本柔拳連盟を設立。その他にも、日本誠明会、(財)日本太極拳協会を立ち上げると共に、台湾政府(中華民国)公認団体・中華国術国際連盟総会の東アジア支部長として、中国武術の普及・発展に尽力する。また、八卦掌第四世伝人でもあった。武号:武峰。
令和7年(2025)6月6日、享年98という長寿を全うして、永眠。激動の昭和期から続いた武術史を知る長老がまた一人、その使命を終えられた。