1936年、カリフォルニア州ストックトン生まれ。フィリピン系アメリカ人。JKD最高師範。10才の頃から親しくしていた叔父さんから柔道、柔術、沖縄の手を学んだのを最初に、インドネシアのプンチャック・シラット、マレーシアのベルシラット、フィリピン・マーシャル・アーツについては25人のマスター達から学ぶ。加えて、ムエタイ、バンドー(インド武術)、アーク・ウォンから中国武術、他にもクラビ・クラボーン(タイの武器術)、ブラジリアン柔術、修斗(総合格闘技)、サバット、ビルマ武術、カポエイラ、そして──ブルース・リーからジークンドーを学ぶ。
1964年に、エド・パーカー氏主宰の「インターナショナル・カラテ・チャンピオンシップス」でブルース・リーと出会い、意気投合。イノサントはブルースからジュンファングンフーを習い、その技術・哲学を体得していく。そしJKD(ジークンドー)をブルースと共に育み、2人は生涯のパートナーとなる。 1967年、ブルース師祖より、JKDにおけるヘッドインストラクターに任命される。1972年、ブルースの要望で香港へ行き、映画『死亡遊戯』でブルース師祖と激しい武器術ファイティング・シーンを撮影。ブルース師祖の死後、1974年、フィリピノカリ・チャイニーズボクシングアカデミーを開校。1980年代からはイノサント・アカデミーを主とし、世界中でセミナーを開催。世界中に弟子を持ち、ブルース・リーの遺産を30年以上伝え続けながら、現在も自ら学び得たものを他者と共有し続けることに尽力している。(写真提供◎デビッド・タッドマン 阿部剛士)