1949〜2021
1949年5月22日生まれ、宮城県出身。高校時代に柔道習得。卒業後、陸上自衛隊入隊を経て、早稲田大学第二文学部へ入学したのち、1971年に極真会館へ入門、直接打撃制の空手選手権へ邁進していく。また学内では、早稲田大学極真空手部(早大極真会)を創設、初代主将となる。
1974年、第6回全日本大会で準優勝。翌1975年に開催された第1回全世界大会で第6位入賞。1976年、第8回全日本大会3位。そして1977年、第9回全日本大会にて念願の初優勝を飾る。強靱な肉体から繰り出す強力なローキックを武器として”人間機関車”の異名を取る。
1979年を期に現役選手から退き、極真会館宮城県支部を前任者から引き継ぎ、間もなくして、のちの「北斗旗」となるミヤギテレビ杯全東北空手道選手権大会を開催する。1981年、極真における直接打撃制KOルールに、防具着用による顔面パンチ、投げ、金的蹴り、頭突きなどの禁じ技を解禁した新しいルール「格闘空手(のちの空道)」を提唱する「空手道大道塾」を設立する。その後、多くの個性的な名選手を輩出する一方、大会を重ねるごとにルールを整備、現在は一部寝技をも包含した独自の武道「空道」として、社会体育を旨とする新武道を完成させた。2021年4月3日、胃癌により71歳の生涯を閉じる。