昭和12年(1937)生まれ、和歌山県出身。幼少時より剣道に興味を持っていたが、学ぶ機会もないまま終戦を経て、昭和33年、慶応大学医学部へ入学。同学部校内には剣道部がなかったため、はじめ馬術部へ入部したが、その後、医学部でも空手部が創設されたことにより入部。伝統の慶應義塾大学空手部(大正13年〔1924〕創部)とは夏合宿稽古、寒稽古などを合同で行う。昭和39年、大学卒業後、八王子にて小児科医院を開設、現在に至る。しばらく空手からは離れていたが、50歳を期に再び道着に袖を通すと、昭和63年より約20年間、医学部空手部の監督を務める。その間、慶大空手部OBによる木曜会へ参加、慶大伝統の船越義珍伝の空手技術に傾倒していく。空手道六段(全日本空手道連盟公認)。