HOME > 達人・名人・秘伝の師範たち > 杉野 嘉男 Sugino Yoshio – 香取神道流

杉野 嘉男 Sugino Yoshio – 香取神道流

 

1904〜1998

明治37年12月12日、父・杉野由太郎、母・セキの長男として千葉県山武郡成東町に生まれる。時、日露戦争の真っ直中に生を受けた嘉雄(本名)少年は、友達とチャンバラ遊びに興ずる腕白少年として育つ。13歳で柔道を始め、大正7年に入学した慶応商工部で講道館指南役の飯塚国三郎の指導を受けて本格的に熱中する。17歳で初段を得ると、本人いわく「四段になるまで一度も負けたことがなかった」。この頃、同じ柔道仲間であり、のち養正館武道を標榜する生涯の”刎頸の友”望月稔に「彼奴には神様がついている」と言わしめたという。昭和2年(1927)、講道館三段となっていた杉野は数え年22歳の若さで神奈川県川崎市に講道館柔道修行所(のちの唯心館杉野道場)を開設する。なお、道場開設から二年後には、楊心古流柔術を金谷元郎に学び、同流の教士号まで獲得している。

二十代半ばとなって、講道館内で嘉納冶五郎によって主導された古武道研究会において、香取の地より派遣された玉井済道、久保木惣左衛門、伊藤種吉、椎名市蔵の四師範に香取神道流を学ぶ。四師範には講道館の指導後、川崎の道場へも出張稽古を依頼し、親しく指導を受ける一方、やはり嘉納の命により、のちの合気道開祖、植芝盛平に学び、昭和12年(1937)には指南免許を許されている。

やがて香取神道流では椎名市蔵より免許皆伝を受け、昭和10年(1935)、「天真正伝香取神刀流本部」幹事長の鎌形巳之助より杉野道場を同流川崎支部として認可される。同年2月3日に設立された(財)日本古武道振興会(当時)に玉井、椎名の両師範と共に入会。2017年現在まで続く同会においては、その晩年まで名物師範の一人として活躍した。

昭和16年(1941)、香取神道流第十九代宗家、飯篠金次郎の賛同を得て、伊藤菊枝(椎名市蔵門下)との共著として『天真正伝香取神道流武道教範』を出版するほか、戦前には都内から千葉にかけて各地で指導を行う一方、昭和12年には映画「阿部一族」で槍の指導を手掛け、戦後には黒澤明監督作品ほか、映画・ドラマに多数の殺陣指導を手掛けている。

戦後、昭和28年(1953)には戦災で焼け出された川崎道場を現在の場所へ移転。翌年には植芝盛平の許しを得て、(財)合気会で二番目となる支部道場として認可され、のちの二代道主・植芝吉祥丸ほかが指導に訪れるようになる。昭和41年(1966)、戦後復興された大日本武徳会、東伏見滋治会長より古武道範士の称号を授与。昭和56年(1981)、望月稔、鳥飼よしらと共に、国際武道院を組織。翌年、同院総裁の東久邇稔彦殿下より古武道十段を贈られる。

この頃よりヨーロッパを中心に海外での指導へも尽力し、香取神道流を世界各地へ浸透させる。

トレードマークの長い顎髭と、晩年90歳を越えてなお、スッキリとした立ち姿で演武をこなす気品ある姿に、多くの武道関係者が魅了された。まさに「古武道の先生」というイメージそのままの生涯を全うされ、1998年6月13日、満93歳で惜しまれつつ帰天された。

【関連商品】
DVD『天眞正傳 香取神道流』




▶ キーワード検索

ページトップへ