イスラエル軍の近接格闘術から、世界市民の護身術へ!
“激戦地”イスラエルで生まれ、その類稀な即習性と実戦性の高さから、世界中の軍隊や民間で広く学ばれている「クラヴマガ」。この度、その最高峰の”マスター”エヤル・ヤニロヴ師範が11年振りに来日した。
“近接格闘術”から”護身術”へ、そしていまや、”防犯”も視野に入れた戦略的システムである「クラヴマガグローバル」へと進化を遂げた、”プログレッシブ護身術”の現在地とは!?
エヤル師による来日セミナーの模様は、秘伝6月号特集内にて詳しくレポートしているのでぜひご覧いただきたいのだが、ここではセミナーを主催したクラヴマガグローバル・ジャパンのご協力の下に実現した、クラヴマガグローバル(KMG)代表 エヤル・ヤニロヴ師への特別インタビューの模様を【前後編】にわたって紹介しよう!
Q.軍隊格闘術から一般な人も習う格闘技へと変化したクラヴマガ。その違いについて。
A.(エヤル・ヤニロヴ) クラヴマガは、1964年までイスラエルの軍隊と警察だけのものでした。そして、イミ・リヒテンフェルドが20年間の軍隊生活を終えて、54歳で退役し、クラヴマガを市民に教える場所を2か所開きました。1964年よりクラヴマガは市民のための護身術になりました。
私は、それから10年後、1974年にクラヴマガを始めました。最初は、10代の私にとっても、習ったクラヴマガの大半のことは、軍隊や警察向けのものでした。しかし、1987年、新しいカリキュラムの下、クラヴマガは全く違うものになり、新しいクラヴマガは、市民に適したものとなりました。
そして、それから少しして、イスラエル人以外の人々も含んだ市民のものになりました。イスラエル人以外の人々にも教え始めたからです。
私たちがアメリカ人に教えは始めたのは、1982年です。ただし、小規模でした。1994年に海外に、より本格的なクラヴマガを教え始めました。ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアで始まりました。
私は、クラヴマガの新しいカリキュラムを1987年に作りました。もちろん、全て、師であるイミから習ったことを使ってです。それから15年ぐらい経って、初めてクラヴマガは、戦略的なシステムとしてスタートしました。私の友達の一人が、(彼もクラヴマガ・マスターなんですが、)問題を防止する、「防犯」というアイデアをくれました。私はこのアイデアを採用し、発展させているところです。様々な「戦略」、様々な「テクニック」を使って、問題を小さくしていったり、問題を発生前に阻止すような方法をトレーニングする、と いうものです。
Q.軍人・警察官という身体能力が高い対象から、身体能力・性別・年齢が様々な市民への変化した時に一番考えなければいけなかったことは?
A.イミが市民を教える時、最初にしたことは、自分の知っている全てのカリキュラムをレベル別に分けることでした。軍隊ではレベルはありませんでした。級も段もありませんでした。軍隊や警察においては、クラヴマガのカリキュラムは狭い範囲のもので、それぞれの任務に特化したものでした。イミは、軍隊用のカリキュラム、警察用のカリキュラム、市民用に作られた護身術のカリキュラムを一度すべて集めて、レベル別に分けました。そして、10代以上の子供たち(小さい子たちは別ですが)、大人たち、そして性別関係なく、普通の人々が習うのに適するように作っていったのです。
イミの教え方としては、「問題はこうです、答えはこうです」というものでした。それについてのコメント(説明)はあまりしない、と言った教え方でした。
イミはボクサーであり、レスラーであり、体操の選手でした。イミの父親は主任刑事だったのですが、警察で護身術を教えていました。ヨーロッパで、ファシズムが生まれ、反ユダヤ主義の活動が活発になった時、イミは毎日、毎日、ファシストを相手に路上で戦い続けました。つまり、イミは「自分をどうやって守るか」ということについて、たくさんの経験と知識を持っていたわけです。その経験と知識を使って、護身術のテクニックを作り上げました。
イミは生まれながらのファイターでした。「誰かに銃を頭に突きつけられた時は、どうしたらいいですか?」、「誰かが腹を刺そうとしにきた時は、どうしたらいいですか?」など、人々がイミに訊きに来ます。どんな問題に関してもイミは、自然と身体が動き、答えは自然と浮かんで来るのです。そして年数を重ねるにつれ、その解決法はより鋭く、より厳密なものになっていきました。彼が80歳の時、私は彼の近くにいましたが、80歳のイミは65歳のイミよりも優れていました。
イミにとって全ての問題、全ての状況には、それぞれの解決の方法、それぞれのテクニックがありました。そして解決法の数だけ、新しいテクニックが生まれていきました。
私のしなければならなかったこととは、イミの解決法とテクニックの中から「原理」を見つけることでした。そして、その原理に沿って、問題のヴァリエーション*を解決法のヴァリエーションを使って解決していくことでした。
それ以外に私がしたのは、イミが解決策を示さなかった問題について、解決法を見つけていくことでした。例えば、ナイフを使った脅しについてどう対処するか、です。ナイフで攻撃された時については、イミは既に解決策を出していましたが、脅しについては解決策を出していませんでした。グラウンド、地面に倒れた状態で起こりうる問題のうち、イミが言及しなかった問題もありました。ライフルやマシンガンなど銃身が長い武器を使った脅しもイミは言及していませんでした。人質のいる状況の問題には、イミは一切言及していませんでした。どうやって、他の人を守るか、VIPを守るか、ということもイミは言及していませんでした。
これらに関して、私は「イミの原理」を使って、新しいテクニックを作りあげて行きました。このように、クラヴマガは(軍や警察だけのものから、市民のものへと)再構築されました。
通訳者注 *基礎となる問題と似たような問題だけれど、どこかが少し違うという場合、「ヴァリエーション」と呼びます。ある問題の変形型、ある解決策の変形型とご理解ください。
例えば、首を絞めようとしている攻撃者が防御者の後ろにいて、前腕(片腕)で防御者の首を圧迫する攻撃をしたとします。クラヴマガには、この場合の解決法(答え)があります。
し かし、この方法は、攻撃者の腕がより深く入り込んで、前腕と上腕の両方で同時に首を圧迫すると、全く同じ解決策では解決できない可能性がでてきますので、 解決策も少し変化させる必要があります。これをそれぞれ、問題のヴァリエーション、解決策のヴァリエーションと呼んでいます。
(前編 了)
左:エヤル・ヤニロヴ師 右:ジル・イザール師(クラヴマガグローバル・ジャパン代表)
Profile エヤル・ヤニロヴ Eyal Yanilov
クラヴマガグローバル(KMG)代表兼ヘッド・インストラクター。イスラエル在住、1959年生まれ。1973年より創始者イミ・リヒテンフェルドから直々にクラヴマガを習い始める。1980年代初めから、イミの右腕としてアシスタントを務める。イミ自身から、最高位の「マスターレベル3」、「創設者認定優秀証書」を授けられる。また、イスラエル・クラヴマガ協会プロフェッショナル委員会の委員長として、技術面、戦略面の両面からクラヴマガを整理・体系化、新たに現代的なカリキュラムを作り上げた。1990年代半ばには、国際クラヴマガ連盟(IKMF)を設立、世界中でクラヴマガを教える。2010年、世界に本物のクラヴマガを普及させるとともに、そのトレーニングのレベルを最高に保つため、プロ集団クラヴマガグローバルを設立。
◎Krav Maga Global( イスラエル本部) http://krav-maga.com
◎クラヴマガグローバル・ジャパン http://www.kravmaga-japan.com/
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