去る2025年7月9日(水)、大東流合気柔術・錦戸無光師範(にしきど・むこう)が心不全により、ご自宅にてご逝去されました。享年85。
錦戸無光師範は昭和15年南西諸島テニヤン島出身。小・中学校を熊本県天草で過ごし、以後は大阪へ。昭和34年より大東流(柔術)を学び始め、東京にて道場を構える。昭和48年35歳の時に、友人の紹介で北海道を訪れ、初めて堀川幸道師範の合気の技に触れた瞬間に、これまでの柔術(約15年の稽古)を一切捨てて師事する事を決意。帰京後、幸道会東京支部道場として再出発。それから2年間は毎月北見~東京の往復、また、堀川師範が上京しての稽古に励む。2年後、家族で北見に移り住む事を決意。一般稽古の他、厳しい個人指導を受け「合する合気」の極意を掴んだ。その後、福岡県筑紫野市の大東流合気柔術総師範として後進の育成に情熱を注ぎ続け、多くの師範たちを育て上げた。
本誌「月刊秘伝」では、2003年8月号特集記事において「自然体から発動する“合する合気”」について紹介いただき、また本誌2014年8月号では福岡での師範稽古会で見せた貴重な合気技法やインタビューを掲載させていただきました。さらにはDVD『合する合気』、書籍『合気の極み』にて、錦戸師範が“光の技”と称された境地までもご紹介いただきました。
生前のご厚情に感謝申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌
※月刊秘伝2025年11月号では、錦戸師範の武人としての横顔を紹介する追悼記事「錦戸無光 合気求道の者──大東流合気柔術「光の合気」へと 辿り着いた境地」を掲載しています。
本記事作成にあたり、錦戸師範に長年師事しその生前に免許皆伝を印可された師範たちよりいただきました「追悼コメント」を下記に紹介いたします(五十音順、敬称略)。
◎光心会 師範 竹中 学
「錦戸先生は生涯合気を研鑽し、そして光の体験から光の技を会得されました。
ある時、私の光の体験を先生にお話をさせて頂きました。先生が「じゃあ、光の技をかけてみて」と仰るのです。当然初めての事でかけ方はわかりません。すると「拳を握って出してごらん」と仰って、私の手首を先生が握られました。「ここに光を持ってくるんだよ」と言われた瞬間、私の身体が浮き上がったのです。何より驚いたのが先生は握ったまま腕も指も何も動いていないのです。握る力が変わることもありません。先生は全く動いていないのに私の身体は浮き上がったのです。その瞬間これは技というものではなく、「特別な力」だと思いました。その時から私の光の稽古が始まりました。
その後、先生と一緒に光の技を公開することになっていましたが撮影当日に中止となりました。先生は生前「光の技は私が光を流した人しか会得できない」と仰っておられました。洗礼と似た性質があるのかもしれません。2019年以降、光の技の修練を希望する弟子には松村師範に光を流してもらうように促されていました。
錦戸先生の「光の技」はすごい技です。後世に正しく伝承されていくことを願っています 」
◎大東流合気柔術 錦戸門下 師範 堤 英臣
「18の頃より錦戸先生のお弟子さんの道場で大東流合気柔術を始めましたが、学業と仕事で中断しておりました。9年前に錦戸先生の著書を手に取ったのをきっかけに電話すると『褌しめておいでなさい』とおっしゃいました。当時先生は77歳でした。いつも先生はユーモアをもって接してくださり、とてもお酒のお好きな先生でした。
先生の技の教え方は口では教えず手本を見せたのちに弟子が先生に技をかけます。隙があると足が来るぞと目を光らせて正してくれます。技を習得するというのは簡単ではありません。一つの技を何か月も稽古し続ける時もありました。ある時あまりにも私がうまくできないときは『今まで何を学んだ。今日はもう帰りなさい』と言われました。失意のなか帰り支度をして帰ろうとする背中にやさしい声で『今のことは忘れて気をつけて帰るんだよ』とお声をかけてくださいました。先生に自分の目標を伝えると更に厳しく稽古をつけてくださるようになりました。技に厳しく弟子にやさしい素晴らしい先生でした。
錦戸先生にご教授していただいたことは私の人生の光です。私は先生の弟子で幸せです」
◎松田賢一
「2003年7月、東京で故・大崎先生の下に入門した。先生の温かいお人柄に強く惹かれ、稽古を続ける中で、同年10月にその師である錦戸先生を共に訪ねる機会をいただいた。初対面の眼差しは心の奥底まで見透かされるようで恐ろしく感じたが、その後に見せられた柔和な笑顔と、圧倒的な技の冴えに心を震わせたのを鮮明に覚えている。厳しい稽古の中にも気さくに冗談を交わされるお姿は、大きな魅力であった。
以来、東京で大崎先生の下で稽古を積みつつ、数か月ごとに福岡を訪れ、錦戸先生からも学ぶ日々が始まった。山上の小屋に滞在し、錦戸先生の手作りの道場で稽古した日々は一生の思い出である。2016年以降は海外赴任で足が遠のいたが、2022年5月に最後の稽古でいただいた言葉はいまも胸に響き続けている。錦戸先生の一言一言には深い身体感覚の裏付けがあり、頭で理解したつもりになるだけでは役に立たない。その教えをなんとか身につけ、次世代へ伝えることこそ最大の恩返しになると信じている 」
◎大東流合気柔術鴻志館 橋田光正
「錦戸師範は深い内面世界を有しておられました。だからこそ、大東流合気柔術の真理を掴むことができたのではないかと思っています。雑談では宗教的なことを述べられることもありましたが、武術においては実証不可能なことは一切言われませんでした。
我々は既存の科学で説明できる範囲で考察する傾向があるかもしれません。一方で大東流合気柔術は解剖学、生理学、物理学など既存の科学で説明できない部分があります。思うに、目の前の現象に対して既存の知識に基づいて歪曲して理解するのではなく、むしろ現象を素直に受け止めることこそが、科学的観察と言えるのではないでしょうか。例えばニュートンは万有引力を発見しましたが、当時の科学者たちは接触していないと物体に力を作用させられるはずがない、と反論しました。原理はわからなくても現象を事実のまま認めるという科学的態度がなければ、現代の重力理論に至る発展はなかったでしょう。
一見、宗教家のような錦戸師範が、実態としては真に科学の目を持っていたのだと受け止めています」
※上記記事中後半では、他師範(下記参照、五十音順、敬称略)のコメントを掲載しています。合わせて、ご一読ください。
◎札幌医科大学 脳神経外科 江夏 怜
◎錦戸無光傳 大東流合気柔術 幸裕会代表 甲斐田裕光無勝
◎大東流合気柔術光道 総師範 古賀武光
◎免許皆伝 八段 師範 後藤茂
◎大東流合気柔術 一燈館 寺田守宏
◎壱空館 豊田浩司
◎大東流合気柔術 春成会 藤本拓民
◎大東流合気柔術 壱風館 総師範 松村浩道
◎大東流合気柔術 雨粒会 村瀬ひろみ

錦戸無光総師範を囲むお弟子さんたち(2013年5月18日)。前列左から、古賀武光師範、錦戸無光総師範、故・大崎司善師範、松村浩道師範。後列左から、後藤武水師範、関本菊臣師範、豊田浩司師範、寺田守宏師範、松田賢一師範、甲斐田裕光師範、古澤裕二師範代。