"世界のカナザワ"の異名で知られ、特に海外においては絶大なる知名度を誇る空手家の一人であった國際松濤館空手道連盟 宗家・最高師範の金澤弘和師範(十段)が、令和元年(2019)12月8日(日)、御逝去されました。享年88。同連盟ではホームページにて同月9日にこれを知らせ、葬儀は故人の遺志から家族・近親者のみにて行い、後日、お別れの会を開くと発表された。
金澤師範は昭和6年(1931)5月3日生まれ。岩手県出身。幼少より武道を好み、空手を学ぶために当時、空手強豪校として知られた拓殖大学へ編入。在籍時には「日本空手道の父」船越義珍、および、その高弟であり、のちに(社)日本空手協会初代首席師範となる中山正敏らに空手を学ぶ。昭和31年(1956)、大学卒業と共に、日本空手協会の第1期研修生となり、翌昭和32年(1957)10月、東京体育館で開催された「第1回全国空手道選手権大会」(日本空手協会主催。現在につながるノンコンタクト試合における空手界初の全国大会)の組手の部において、大会前に右腕を骨折していたにも関わらず、蹴り技だけでこれを制して、「蹴りの金澤」の異名を轟かせる。翌昭和33年(1958)開催の第2回大会では組手・型ともに制して、初の総合優勝を勝ち取る(第3回大会組手2位・型2位入賞。第4回大会型3位入賞)。
昭和35年(1960)頃より、海外の空手普及の先陣を切って、ハワイやヨーロッパ各国で空手を指導。未だ「空手とは何か?」を知らない海外の人々へ、空手の実力と共に、それが武士道に立脚した日本武道の心技体を伝えるものであることを知らしめ、世界の空手普及の礎を築く。
昭和53年(1978)、日本空手協会より独立し、「國際松濤館空手道連盟」を設立。晩年に至るまで、広く国内外で自ら理想とする「調和の空手」を指導し、普及発展に努めた。平成14年(2002)、NPO法人国際武道院より、空手道名人十段位を授与される。
主要な著書に『空手型全集(上・下)』『空手組手全集』(以上、池田書店)、『空手六週間で強くなる』(福昌堂)、『我が空手人生』(日本武道館)などがあり、DVD「空手教則(初級編・中級編・上級編)」(クエスト刊)、DVD「半月で錬る〜空手の呼吸力〜」(BABジャパン刊)、DVD「空手武道ライブ」(2007年2月、国際常心門少林流空手道連盟宗師範・故池田奉秀一門、国際沖縄剛柔流空手道連盟主席師範・東恩納盛男一門と共に、東京・九段会館で開催した合同演武会。BABジャパン刊)などの映像作品がある。
本誌「月刊秘伝」では、生前、格別なお計らいを何度となくいただき、その武道哲学、空手技術の深淵に触れさせていただきました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。