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兵法タイ捨流15代上原エリ子宗家襲名式

剣豪・丸目蔵人佐を始祖とする古武道

wbDSC00538 (1280x853).jpg兵法タイ捨流の十五代宗家を、兵法タイ捨流龍泉館熊本県八代市本部の上原エリ子師範が襲名した。400年を超える歴史の中で初の女性宗家となる。8月1日人吉市の国宝青井阿蘇神社境内において、襲名式が執り行われた。

wbDSC00463 (1280x853).jpg上原は、十三代宗家 故・山北竹任の孫にあたり、幼少のころから祖父より直接の指導を受ける。祖父の他界後は、球磨郡錦町・八代市を中心に龍泉館館長山本隆博師範の指導を受けながら、門下約70名と共に修練や活動を続けていたが、十四代宗家の体調不良により、継承する運びとなった。

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wbDSC00692 (1280x853).jpg襲名式は、午前10時開式。山本館長から宗家に代々伝わるカシの木剣を受け取り、「一意専心の心を忘れず、誠心誠意精進します。」と挨拶した。その後、雲弘流 井上弘道十九代宗家、柳生心眼流體術・柳生新陰流兵法 梶塚靖司十一世宗家が演武を奉納。続いて、兵法タイ捨流の演武を関係者や観光客の見守る中、披露した。


丸目蔵人佐は、1540年八代生まれ。若い頃に新陰流の始祖・上泉伊勢守秀綱より新陰流を学び、門下四天王の一人となる。1567年、上泉より印可状を受ける。新陰流に独自の工夫を加え、より実戦的な剣術タイ捨流を開流。九州一円に広まった。特徴は、「右半開に始まり左半開に終わる、すべて袈裟斬りに終結する」独特な構えから斜めに斬り上げ斬り下げる太刀筋、宗家の家紋である九曜の型による円の太刀や、様々な地形での戦を想定した体の操作法、飛び違い相手を撹乱する技、剣術に体術として蹴り、目潰し、関節技を取り入れる。兵法タイ捨流の「タイ」には、複数の意味合いが含まれる。「体」とすれば体を捨てるにとどまり、「待」とすれば待つを捨てるにとどまり、「対」とすれば対峙を捨てるにとどまり、「太」とすれば自性に至る。仮名で表す事で何れの意味にも通じ、「タイ捨」とは、これらの雑念を捨て去る、ひとつの言葉にとらわれない自在の剣術である。

兵法タイ捨流 龍泉館
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