月刊秘伝2024年12月号
■特集 力を0化する!!
武術が到達した“柔の極致”
化勁
序章『化勁とは何か』
第1章『化勁の実戦用法』 宮平保(天行健中国武術館)
第2章『合気と化勁を繋ぐ術技』 高瀬道雄×臼井真琴×有満庄司
第3章『推手で磨く化勁の理』 日本武術太極拳連盟
第4章『化勁を錬る一人稽古』 遠藤靖彦(太我会)
■巻頭グラビア
中達也「形稽古の極意指南!」
佐久間錦二「新始動! 佐川合気実験室」
ベンジャミン ……
本年(平成28年)12月21日、糸東流空手道正修館館長 西田稔師範が、急性白血病のため御逝去されました。享年75歳。
西田師範は昭和16年、愛媛県大洲生まれ。12歳の頃より、現在では拳道学として著名な大西栄三師範の元で本格的に空手を習い始める。この大西師範の縁で、糸洲安恒の高弟である修道館・遠山(親泊)寛賢師範に師事。その数年後の昭和36年、再び大西師範の縁で、東恩納寛量の高弟である東恩流・許田重発師範に師事した。
昭和36年、若干20歳の頃に、東京都は十条に自らの道場である正修館を開き、修練を重ねる。その後、仕事の関係で一時期大阪に住むことになり、このとき、大阪に居を構える「糸東流二代目宗家の故・摩文仁賢榮」と出会うこととなる。摩文仁賢榮宗家は糸洲と東恩納から学んだ糸東流流祖・摩文仁賢和の長男である。昭和27年の賢和没後、二代目宗家として、また武道家として、体力気力ともにまさに油が乗っている賢榮宗家の空手を見た瞬間、自分が習ってきた首里手・那覇手と同じだと西田師範は直観し、摩文仁糸東流門下となった。
遠山(親泊)寛賢師範、許田重発師範、摩文仁賢榮師範と、首里手と那覇手を本土に伝えた沖縄空手の大家たちから空手を学んだ西田師範。以後、一生を空手に注ぎ、その本質を求め続け、師の教えに沿って錬り続けたその術は、沖縄の手の、首里手と那覇手の、本質そのままを正統に伝えるものであった。
戦後の日本復興とともに激動の昭和期を経て、正修館は平成28年には道場創立55周年を迎えた。現在、正修館道場は、関東を中心に全国に支部を持ち、海外にも支部や友好道場がある。西田師範は平成20年刊行の『沖縄空手古武道事典』(柏書房)に糸東流を代表する空手家として紹介され、形(型)の演武写真も掲載されている。
西田師範は本土、四国の出身であるが、本土に正統な沖縄空手が伝承され、それに触れた最初の世代である。その意味で西田師範は、「本土に伝承された沖縄正統空手」最後の伝承者、"ラスト・オブ・ファーストジェネレーション─最後の第一世代"である。武の神、空手の神に見初められたとしかいいようがない西田師範の空手探求の旅の詳細については、本誌2016年4月号記事「本土における沖縄正統空手の系譜」にて、正修館柏道場 小林真一師範、同・湯川進太郎準師範に紹介いただいた。
改めまして、西田稔師範の御冥福をお祈り申し上げます。