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「剣術源流豆知識」第二回

陰流系の剣豪たち

 前回(第一回)の結びにおいて言及した陰流系。いわゆる「剣術三大源流」の一つに数えられるこの系統の祖と言えるのは、愛洲移香斎久忠(1452〜1538)である。移香斎は伊勢愛洲氏の出といわれることから、南北朝時代に活躍した海賊衆の血筋とみられている。そんなことから、のちの倭寇(中国沿岸部を主に荒らした海賊集団)と移香斎との交流が、中国大陸に陰流目録が伝わった因と見られている。いずれにせよ、素性不確かな剣豪であり、一時は伝説上の人物と目された時期もあったようだ。なお、前回「陰流そのものの伝書すら、日本国内では未だ発見されず、大陸(明国)の『紀効新書』や『武備志』に記載されたものが後に逆輸入される形で残るのみとなっている」と記したが、彼に直接的につながる流儀(愛洲陰之流)の伝書などは国内で見つかっている。
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(画像提供:東京国立博物館)

wb_DSC0899.jpg 生まれは愛洲氏の本拠である、現在の三重県・南勢町あたりと思われるが、長じては九州の日向(現在の宮崎県)に住居した。長享二年(1488)、移香斎37歳の折、日向の鵜戸神宮に参籠し、岩屋にて蜘蛛の変じた老翁より秘太刀の極意を授かり(『本朝武芸小伝』では「霊夢」とある)、兵法を自得して、以後、(愛洲)陰流を興したという。こうした芸道開創における「感応道交(仏道的啓示)」はこの時期の武芸創流伝説に付き物となるが、移香斎の場合には他に「鵜戸明神が化けた神猿」が教えたとするものもあり、のちの新陰流にも伝えられる技法名「猿飛(現在の新陰流では「燕飛」)に繋がるものと思われ、同流伝書にも猿が技法を演じる姿が描かれたものもある。いずれにせよ、それまでの神道流系や念流系と比べても、より縦横に変転する軽妙な剣捌きを思わせるところだろう。そこに新陰流を興した上泉伊勢守(1508頃〜1577頃)が「奇妙」と称した、陰流独自の工夫があるのかもしれない。

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 もっとも、上泉が直接、陰流を学んだのは、移香斎が68歳の時(永正十六年=1519)に生まれた息子の小七郎宗通(のち元香斎)であるとされている。これは移香斎と上泉の間に50年ほどの開きがある故だが、逆に元香斎は上泉よりも10歳ほどの年下となる。これを合理的に勘案するなら、老境の移香斎に入門した上泉を直接に指導したのが元香斎であったという図式であろうか。元香斎が生まれた頃、移香斎はすでに九州を離れ、常陸の国(現在の茨城県)の佐竹氏に仕えていたという。移香斎没後の天正初年(1573)、元香斎は常陸の久慈郡真弓山に参籠した際、「異人」に逢って、現れ出た老猿に剣術の修法を顕示され、新たに「猿飛陰流」を唱えたとも伝えられている。この伝は、のちの佐竹氏の出羽国(現在の秋田県周辺)移封に伴う形で秋田に移り、愛洲氏から改姓した平沢氏に代々伝えられたが第七代にして途絶えたとされている。

 陰流の正統が常陸に居住していたことは、上州(現在の群馬県)出身であり、鹿島の地で剣術に励んでいた(?)上泉伊勢守と縁を結んだことも肯ける。ただ、その時期は詳らかではなく、その前に上泉が神道流系の誰に学んでいたのかも判然とはしていない。また、上泉は一介の剣術者ではなく、上州大胡氏の支流となる歴とした戦国武将の一人で、上州・上泉の地の城主でもあった。その点で、上泉のように身分ある身の上で、遠く鹿島の地まで剣術を学ぶために領地を離れていたのかは一考の余地があるようにも思える。実際、現在の上州近辺の村落では「神道香取流」と称して、香取神道流と同質の技法が”村落の伝統”として代々受け継がれてきている事実などが存在している。もう一つの修行流儀である念流が同じ上州の馬庭の地にあることを考え合わせても、上泉の領地周辺に流れてきた神道流系の剣術を学んでいたと見るのが妥当であるように思える。が、一方、上泉の剣歴には「中古(流)」の名もあり、これは鹿島・香取の地に古くから伝わる「関東七流」の一つ、(鹿島)中古流と思われ、してみると、鹿島の地に自ら赴いた可能性も捨てがたい。

剣術新時代を開いた上泉伊勢守

 さて、「秀綱」を名乗っていた当時の上泉は、上州における上杉氏の目代(私的な代官)であった箕輪城主、長野業正に仕える属将として、武田信玄率いる武田軍と交戦している。しかし、箕輪城はあえなく落城。上泉の「上野国一本槍」と讃えられた名声から、彼を高く評価していた信玄は、上泉へ家臣となることを請うたと言われる。のちに上泉が名乗る「信綱」も、このとき、信玄にその名から偏諱を賜ったものであると伝えられる。ところが、上泉は自ら編み出した新陰流のさらなる求道と兵法弘布を志して、これを固持。門弟たちと共に武者修行の旅に出ることとなる。当時、兵法修行が仕官のための方便であったことを思うとき、上泉はその点でも特異な兵法者であったことが分かる。これも城持ちの武将出身であることが大きく影響しているのかもしれない。いずれにせよ、上泉のような存在が、のちの日本独自の流儀武術のあり方を決定づけていったことは間違いないだろう。

wb宝蔵院0502.jpg この旅で上泉は伊勢国司である北畠具教や奈良宝蔵院で独自に「十字槍」を工夫した胤榮、彼を通じて当時「畿内随一の実力者」と言われた大和柳生庄を治める柳生宗厳(のちの石舟斎1529〜1606)などと親しく交流しつつ京へ上洛し、時の征夷大将軍である足利義輝に剣技を上覧している。面白いことに、「剣豪将軍」とも言われた足利義輝や、武将としても一騎当千の強さを誇ったとされる北畠は共に神道流系の雄、塚原卜伝(1490〜1571)の高弟としてその奥義「一の太刀」を授かった(異説あり)とも言われる実力者たち。まるで、卜伝の後を追うかのようなその足取りは、同時代のライバル剣豪を強烈に意識した上泉の姿を思わせる。もっとも、先の上泉の経歴にある鹿島の地における人脈に、卜伝との何らかのつながりがあったことは容易に想像がつくところであり、あるいは卜伝の紹介のもとにその足跡が形成されたのかもしれない。上泉の兵法上覧は永禄七年(1564)とされるが、この翌年、足利義輝は戦国時代の露と消える。上泉は元亀元年(1570)、当時の天皇(正親町天皇)の御前での兵法上覧をもはたし、兵法家としては異例の従四位に叙せられる。その年、上州の地に帰郷したとされるが、上泉のその後の消息は詳らかではない。
wbDSC_0061-2.jpg なお、この旅で立合に用いられたのが、上泉の工夫による「袋撓(ふくろしない)」であり、このケガも少なく存分に打ち合える道具は彼の弟子たちによって後世へ伝えられていくこととなる。

多彩なる高弟たち

wb肥後新陰しない.jpg 上泉が京へ上る途上、その傍らに従った弟子には、のちに神陰流を名乗ることとなる神後伊豆守宗治(生没年不詳)と、上泉の甥でもある疋田豊五郎景兼(1537頃〜1605頃)の名が知られている。特に疋田は、その剣技をのちに疋田(新)陰流とされるが、柳生宗厳との初対面における立合で三度立ち合って三本ともに圧倒したと伝えられ、その実力において出色の存在であったことがうかがわれる。疋田は後、60歳近くとなって再び袋撓片手に廻国修行を行っているが、自ら記した『疋田豊五郎入道栖雲斎廻國記』(主家への報告書)で多くの他流試合で相手を打ちのめしたという、少々、大人げないほどの(?)自慢話の数々を披露している。
(左写真:疋田伝で使用された袋撓[資料提供:愛洲の館及び伊藤将巳氏]

wbタイ捨1154.jpg 話を戻して、このとき、自らも宗厳と立ち合った上泉は丁重に請われて柳生の庄に留まり、宗厳はじめ柳生一族へ親しく教授したと伝えられる。その後、宗厳へ課題を残して旅だった後、将軍上覧の際、上泉の打太刀を務めたのが、九州から上京し、京で上泉へ挑戦、その技倆に感服して入門した丸目蔵人佐長惠(1540〜1629)であった。十代にして「九州随一」といわれる早熟の天才であった丸目も、入門後は真摯にその習得に努めていたので、それを愛でた上泉は、同行した先輩である神後を差し置いてこの晴れ舞台での相手役に彼を選んだようだ(のちの天覧演武においては神後を相手役としている)。その後、九州に戻った丸目は新陰流の普及に努めたが、上泉の没後、彼の剣技は「タイ捨流」として新たに広められることとなる。

wb直心0900.jpg このほか、上泉の弟子としては松田派新陰流の松田織部助清栄や駒川改心流を興す駒川太郎左衛門国吉などがいるが、特筆すべきなのは神影流を称する奥山休賀斎公重(1526〜1602)だろうか。のちに柳生が徳川家康に召されるが、それ以前、天正二年(1574)に当時、本拠地である岡崎にあった徳川家康に召されたのがこの奥山であった。また、奥山の弟子とされる、真新陰流の小笠原玄信斎長治(生没年不詳)は、のちに「無住心剣」を唱えて「相抜け」という剣理を提唱する針ヶ谷夕雲(?〜1669)や、直心流を唱える神谷伝心斎(1982〜不詳)へとその伝を受け継いでいく。神谷の門からは後に直心影流を興す山田平左衛門光徳が出るが、光徳の三男である長沼四郎左衛門国郷(1688〜1767)は竹刀による試合稽古を推進した父の遺志を継いで、正徳年間(1711〜1715)に面・籠手を開発し、のちの撃剣隆盛への道を拓いた。
(以下、次回へつづく)
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wb_DSC0865.jpgwb_DSC0826.jpg


参考:『日本伝承武芸流派読本』(新人物往来社)、『歴史と旅』1983年11月号、『歴史読本』1993年11月号『日本の古武道』(横瀬知行著・日本武道館)、そのほか過去のBABジャパン「月刊秘伝(「秘伝古流武術」含む)」記事

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