去る2025年6月22日、逆真会館最高師範・山﨑照朝(やまざきてるとも)師範が、胆管がんのためご逝去されました。享年
77。

山﨑師範は昭和22年、
山梨県東山梨郡大和村生まれ。少年期は農業の手伝いをする事が頻繁だったという。車の使えぬ峡谷の曲がりくねった道のりを、50キロもの荷物(肥料あるいは収穫した果実)を片道で1時間以上も背負って行き来するなどの重労働のおかげで、足腰・体力が人一倍鍛えられたという。
空手との出会いは高校時代、新聞に掲載されていた極真会館の道場生募集を目にし、山梨から遠路はるばる東京・池袋の総本部道場へ見学へ行った。初めはその稽古にピンとこなかったが、見学に訪れる事4度目、ついに自由組手稽古を目の当たりにする。それはまさに喧嘩を凌駕するもので、震えが走ったという。その瞬間、入門を決め、以後、寝る間を惜しんで山梨と東京を往復する生活が始まった。
そうして昭和38年、16歳にして極真会館に入門。大山倍達館長の元で空手を学んでいた当時、自由組手では、顔面突き、金的蹴りや頭突き等が当たり前に行われる極めて実戦的なものだった。大山茂師範、中村忠師範、芦原英幸師範など、先輩たちの胸を借りつつ稽古に没頭し、「365日、空手の事ばっかり考えていた」という日々の中で、基本と技術、そして山﨑師範の印象的な雄大な構え「天地の構え」を練り上げて行ったという。
昭和44年にはキックボクシングにおいて、タイのカンナンパイ・ソントーンを含む強豪を次々にKOするなど、異種格闘技にも意欲的に挑戦。そして同年9月には、極真会館の初の“直接打撃制”「第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」に優勝、初代王者となった。その後も第五回大会を最後に引退するまで、準優勝2回、4位1回。「極真の龍」と呼ばれたその空手は、常に“実戦空手”を体現し続けたものだった。

天才空手家・山崎照朝師範による華麗なる飛び蹴り(写真提供:山崎照朝、秘伝2013年2月号記事より)
昭和52年4月、埼玉県・大宮で日本空手道塾「風林火山」を設立し、ボランティアで青少年の指導を開始。平成8年4月、国際武道空手連盟「逆真会館」に名称変更。
館長として後進の指導に当たった。
※逆真会館開設について、山﨑師範は本誌「月刊秘伝」2006年10月号にて「学生卒業と同時に引退して、サラリーマンやりながら教える事になったんだけど、ボランティアでやりたかった。でもそれで極真を名乗ると、きちんと月謝を取ってやっている人に悪いから、別の名で立ち上げたい、という事を大山館長に相談したんだよ。承知してくれた。それ以来今みたいな形でやってるんだ」と語られていました。
本誌「月刊秘伝」では、上述の2006年10月号、続く11月号にて「実戦的空手の攻防技術」を前後編にて紹介いただき、2007年にも“天才空手家”と呼ばれた山﨑師範にとっての「重心と中心」解説記事などを掲載させていただきました。また、武道格闘技ジャーナリストとしても活躍された山﨑師範には、2013年2月号にて新極真会・塚本徳臣師範との対談記事にもご登場いただきました。
生前のご厚情に感謝申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌
なお、葬儀につきましては、山﨑照朝師範の公式フェイスブックでご家族により下記の通り、発表されています。
https://www.facebook.com/terutomoyamazakiofficial
【葬儀のご案内】
■故人氏名:山﨑照朝(井上照朝)
■式場:越谷市斎場 第3式場(埼玉県越谷市増林3989-1 電話:0489 76 2424)
■通夜:令和7年6月25日(水)午後5時30分より
■告別式:令和7年6月26日(木)午前9時30分~11時