"日野武道" を真っ向から取り上げた月刊秘伝特集「武術の解答」(2014 年6月号掲載)。そこには収録しきれなかった"ちょっと深いところ" の話をひとつ、ご紹介しよう。
1 きちんと触れる
「相手より早く動く」あるいは「相手より大きな力を出す」というのは、武術、スポーツにとどまらず、もはや現代に生きる者にとって「一般常識」としても過言で ないほど、当たり前な感覚として沁み付いた勝利原則だ。
しかしそれならば、だんだん肉体能力が衰えていく30 ~ 40代以降に差し掛かったらあきらめるしかないのか?
命を懸けた武術あってそれはない! そう踏んだ日野師が見つけ出した極意の一つが「同調」だ。
「説明動画1」をご覧いただきたい。日野師は目隠しをし、手首を掴まれた状態。そこから、相手が顔面に突き込んでくるのをかわす稽古だ。
日野師は触覚に集中して、"相手と同時" に動く。早くも強くも動く必要はない。同時でいいのだ。というより、同時だからこそ、相手は何の対処もできずにつんのめり崩れてしまう。もし相手に先んじて動いてしまったら、相手はそれに対する対応変化ができる。相手より遅れて動けばもちろん突きを喰らうだけだ。
さてこの"同時"、言うほど簡単ではない。目で追えばどうしても遅れ、それならばと"予測" しようとしたりで、かえって難しい。"触覚" を頼りに相手を感じ取る方がむしろ簡単なのだ。
その代り、その「触り方」が重要だ。接触してさえいればそこから感じ取れるかというと、そうはいかない。
「説明動画2」も、日野師の元で行われている稽古法。 掌を上下に合わせ、下になった側が主導権をもって動く。上側がその動きに追随する。ただ載せているだけでいい気がするが、それではわずかに取り残されて相手に違和感を与えてしまう。もちろん、先読みしようとすればそれもまた違和感として相手に伝わってしまう。そのどちらも生じないように、手だけでなく全身をもって動くのだ。
これはいわば「同調」の前段階的稽古で、「同調」そのものではない。"きちんと触る" ための稽古だ。 "きちんと触る" 事がかなってくると、こんな事ができるようになる。
2 肉体が勝手についてゆく!
相手に手首を掴まれた状態から、捻られる(説明動画3)。
ある瞬間にぶつかりが生じ、そこで力比べになる。相手よりこちらの力が勝っていれば、捻られずにも済むが、逆なら負けだ。
"ぶつかり" が生じなければいい。相手の動きに逆らわず、同じように動くのだ。「なすがまま」ではない。遅れも先んじもせず、相手の動きによって自分の体が勝手に動くにまかせ、共鳴して動く中で逆転させてしまうのだ。相手の動きにいささかも逆らわぬためには脱力が不可欠。そしてもちろん、相手にきちんと触れて、相手の動きをキャッチする事が大事だ。
これはいわば、肉体に限定した「同調現象」だ。何も考えず、相手の動きに真に応じているだけの中では、相手は何の違和感も得ぬまま、最後まで主導権が逆転している事に気付けない。
相手と"ぶつからない" よう動くというのは、真っ先に想起される合気道や中国武術系のみならず、柔術、柔道、レスリング、相撲から時に空手等の打撃系に至るまで、あらゆる格闘術において謳われる普遍的な根理だ。それらは実はこのレベルの同調でほぼかなう。脱力し、きちんと相手に触れる。この事の大切さを、日野師は誰よりも強く説いてきた。
しかしこの「同調」、まだ先がある。
3 意識の「同調」
先の"肉体的同調" と見かけ上はほぼ同じにも映るのだが、「説明動画5」は、"動こう" という相手の想いの起こりから完全にとらえてしまっている、"意識の同調"。日野師が真の同調とするのはこちらだ。
人間の目とは不思議なもので、「真の同時」の動きでは、最終的に勝ちを得ている側が先導したように見えてしまう。だから、稽古等で、上位者がこのようなレベルの技を見せても、目が養われているうちはこのカラクリに気付けない。
そもそも日野師が「同調」に留意し始めたきっかけは、"接触系" 武術ではない。古流剣術だ。そしてそこには「鏡に映すように」と表現されていた。どんなに素早く動く努力をしたところで、そこまでの同時はかなわない。想いの起こりをとらえる"意識の同調" なくしては。
超能力?......いやいや、日野師によれば、このレベルの「同調」とて、誰もが日常的に経験している事なのだという。
申し合わせもしていないのに、"あれ?" と思う瞬間。例えば......
まあ、言うだけヤボだろうか。
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